2008年02月25日
青ひげ公の城作曲の経緯
恥しながら知らないこと多かったです。
勉強になりますなぁ。
バルトークとバラージュを引き合わせたのは、双方の友人である作曲家コダーイ・ゾルターンであった。当時、バラージュとコダーイはルームメートで、バラージュはコダーイのためにこの台本を書いていた。コダーイを通じてバルトークと知り合ったバラージュは、1906年のバルトークの民謡採取旅行にも同行している。1910年に出来上がったシナリオは、コダーイとバルトークの二人に献呈された。
まずコダーイに作曲の依頼がされたが、コダーイは「内容に共感できない」と言って断っている。しかしバルトークはこの台本に興味を持ち作曲を開始、1911年9月に、6ヶ月という短期間で完成する (但し1912年と1917年に改訂を行っている)。バルトークが作曲を急いだのは、ハンガリーで行われた1幕もののオペラ・コンクールへの応募という動機があげられる。しかしこのコンクールには入賞できず、初演は1918年まで待たねばならなかった。バルトークの次の舞台作品であるバレエ音楽《かかし王子》の初演が先に行われ(1917年)、これが大成功を収めたため、歌劇場側も《青ひげ公の城》を無視できなくなり、この作品の初演が決定された。
初演と出版
初演
1918年5月24日 ブダペスト歌劇場、指揮:エギスト・タンゴ、ユディット:ハーゼルベック・オルガ、青ひげ:カールマン・オスカル
出版
オーストリアのウニフェルザル出版社からヴォーカル・スコア(1921年)、フル・スコア(1925年)、およびリブレットが出版されている。但しフル・スコアにはドイツ語と英語の歌詞しか記載されておらず、オリジナルの歌詞であるハンガリー語がない。アメリカのドーヴァー出版からウニフェルザル版のヴォーカル・スコアのリプリントが出ているが、こちらにはハンガリー語の歌詞が収録されている。
作曲者の次男ペーテルらによる改訂版が、2008年に出版された。270箇所もの修正が加えられ、ようやくハンガリー語の歌詞も含まれ、歌唱もオリジナル通りになった。ただしドイツ語は削除された。また英語歌詞はペーテルによる新訳となっている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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